7/01/2010

富士さんとわたし

今週の本棚:井波律子・評 『富士さんとわたし--手紙を読む』=山田稔・著

 (編集工房ノア・3675円)

 ◇遊び心の交友が放つ文学的磁場

 作家・フランス文学者の山田稔が、久坂葉子、桂春団治などの評伝で知られる作家富士正晴(一九一三-一九八七)とやりとりした書簡をベースに、富 士正晴の文学と生き方を細やかに描きつつ、自らの軌跡をたどった異色作である。交換された書簡(葉書が多い)は山田稔から富士正晴あてが一九四通、富士か ら山田あてが一六九通、合計三六三通。期間は一九五四年四月から八七年二月まで約三十三年間。これほど長期にわたって交わされた大量の書簡が双方におい て、ほぼ完全に保存されていることに、まず驚嘆してしまう。

 両者の交友は、一九五四年当時、京大人文研の助手だった著者が先輩助手の多田道太郎に連れられ、大阪府茨木市安威に住む富士正晴を訪ねたのを機と する。以来、新聞や雑誌に掲載されたたがいの文章についての感想から、共通の友人や日々の生活風景等々についてまで、呼吸のあった書簡のやりとりがつづく ことになる。

 初期の書簡では、二十歳近く年上の富士正晴が、自分のスタイルを見出(みいだ)すべく模索中の著者をさりげなく励まし、奮い立たせようとするさま が如実に見て取れ、まことに快い。やがて著者がさまざまな逡巡(しゅんじゅん)をふりきって、スカトロジーをテーマとする連作に着手するや、富士正晴も薀 蓄(うんちく)を傾けてこれにエールを送る。この時期の往復書簡には、ついに自らの鉱脈を掘り当てた若い著者の昂揚(こうよう)感と、富士正晴の「よく ぞ、やった」という深い理解と共感が美しく交錯しており、読んでいて爽快(そうかい)だ。

 これを転換点に、両者は書くことの「しんどさ」を愚痴りあい、心身の不調を訴えあいながら、それぞれ綿密な構成をもつ著作を次々に発表してゆく。 総じて、この往復書簡の魅力は、両者ともいかなるときも大仰になることなく、ユーモア精神たっぷり、さらりとした筆使いで、近況を語りあうという風情を 保っているところにある。これは、両者がノンシャランな遊び心をよしとする美学を共有していることによるものであろう。

 実のところ、著者と富士正晴の交友は単に個人と個人の関係によるものではなく、桑原武夫をはじめとする京都の学者グループ、著者が積極的に関(か か)わりつづけた「日本小説を読む会」、富士正晴を中心とする同人雑誌『VIKING』等々、いくつものグループがクロスオーバーした地点において育(は ぐく)まれたものだった。著者や杉本秀太郎、高橋和巳など友人の多くは「読む会」の会員であると同時に、『VIKING』の同人でもあった。関西において こうした形で、ある時期しかも長期にわたって、文学を語る場、作品を発表する場が、重層的に存在したことじたい、稀有(けう)の「文化の厚み」を示すもの だと思われる。そうした文学的磁場のありようが生き生きと映し出されていることも、本書の大きな魅力である。

 さらにまた、書簡や随所で引用される作品を通じて浮かび上がってくる富士正晴のイメージには、遊び心にあふれながら、それとはうらはらに、まこと にきびしく硬質なものがある。富士正晴は酔うために大酒を飲みつづけた人だった。魏(ぎ)末、「竹林の七賢」のリーダー格だった阮籍(げんせき)も大酒飲 みであり、「阮籍は胸の中に塊(かたまり)がある。だから酒で洗い流す必要があった」と評された。富士正晴もまた塊を抱えた人だったのだろうか。著者は、 本書全体を通して、複雑に屈折した富士正晴像を多様な角度から、まざまざと描き出している。

毎日新聞 2008年8月10日 東京朝刊