12/24/2010

山田稔

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山田稔

■死者の記憶、鮮やかに描いて

 冒頭のエッセーにある「すがれた老人」という言葉に心をつかまれる。作家の尾崎一雄が42歳の加能作次郎の姿をこう形容したそうで、すがれるとは盛りを過ぎ衰え始めたの意味である。加能の作品を読み返したくなったとき「胸の奥底にこの一語がひそんでいたような気がした」と山田さんは書く。

 パリのマビヨン通りにあるレストランの地下に居候していたアナーキストの椎名其二。「夏草」で芥川賞候補にもなるが、文壇からはぐれた前田純敬。ついぞ「時めく」ことなく、その名も忘れられつつある死者の姿を、読む人の前に鮮やかに描き出す。「私の関心はほとんど〈すがれた〉ところに向かうようです」と山田さん。

 とくに前田とのやりとりが印象に残る。面識もないのに週に何度も手紙が届き、ある時は文字どおりの音信、声を吹き込んだテープまで届いて辟易(へきえき)する。屈折したところのある人物像が刻まれるが、前田の死後、同じ郷里の女性が彼の著書を出すため尽力する美しいエピソードも紹介される。

 「書きたいことを書きたい時に書きたいスタイルで。その三つが文章を書く条件で、なるべく守るようにしてきました」と言う。本書に収めたのも、締め切りのゆるやかな同人誌や出版社が出す小雑誌に寄せたものだ。最後の「転々多田道太郎」は、長いつきあいの友人だけに思いをどう表していいか書きあぐね、寝かしたり削ったりを続けていた。多田さんの追悼を書き上げたら本を出しましょう、というのが版元との約束だったそうだ。

 エッセーとして書かれた文章が不意に小説的展開を見せる。「小説となって腐ってゆく寸前の」「とうてい小説とはなりえない現代の魅力」。かつて多田さんが山田さんの本を評した言葉が文中で引かれる。「自分でも忘れていましたが、今思うと、ずっとこの言葉を目印に書いてきた気がします」