11/12/2010

大逆事件

今週の本棚:田中優子・評 『大逆事件--死と生の群像』田中伸尚・著

 (岩波書店・2835円)

 ◇「お国に殺された」各地の非戦論者

 大逆事件--私があまり考えたことのないこの事件に関心をもったのは、評論家の佐高信さんの、テレビでの発言だった。今年二〇一〇年は「日韓併合一〇〇年ですね」という話題の時に、「大逆事件一〇〇年でもあります」と言われたのだ。私はその言葉で、国家が外に向かって拡大して行こうとするとき、必ず内に向かって強い力で弾圧する、という構図が浮かんだ。近代国家の宿命である。外への力と内への力は同時に観察しなければならない。今年は確かに、大逆事件から一〇〇年の年である。これからのために、今年読んでおくべき本であろう。

 私のような、この事件の専門家でも近代史の専門家でもない者にとって、本書はじつにわかりやすく、理解の助けになる。おおまかに言って三つのことが見えてきた。ひとつは、当時日本全国に散らばっていた、国家にとって不都合な人々が、何のつながりも集団的結束も無いところで、任意に集団とみなされ、一網打尽に死刑に追いやられた、という事実である。このことには驚いた。何らかの運動体が形成され、何らかの目的とその遂行手順があったと思っていたからだ。たとえば森近運平は岡山の農業改革者で、ガラス温室を使った高等園芸を研究していた。宮下太吉は長野県安曇野市の熟練機械工だった。内山愚童は、箱根の曹洞宗の僧侶だ。大石誠之助(せいのすけ)はオレゴン州立医科大学を卒業し、カナダで外科学を学び米国で医師をしていたが、郷里からの要請で熊野新宮に戻って開業し、その後さらにボンベイ大学で学んだ医師であった。高木顕明(けんみょう)は新宮の真宗大谷派の僧侶で、部落差別の解決に尽力していた。古河(ふるかわ)力作は東京豊島区の花卉(かき)栽培会社の植木屋で、柔和な小さな人だったという。そして幸徳秋水は高知県中村の人で、新聞記者であったが、勤めていた『万朝報(よろずちょうほう)』が日露戦争開戦賛成派になったために、堺利彦とともに退社した。そういう非戦主義者だった。

 数例を挙げただけで、散らばりかたがわかる。そして本書では、このひとりひとりの人間としての姿が、生々しく見えてくる。堺利彦は事件の翌年、遺家族訪問の旅に出た。本書の記述はその後を追うように書かれている。読む方も、まるで事件直後に足で歩きながら、この出来事を検証しているような心持ちがしてくる。全国に散らばる彼らに共通しているのは、非戦論者であった、ということだけだった。著者の表現に従うと、社会は「非戦・平和の徒」に「逆徒」というレッテルを貼(は)ったのである。

 二つ目にわかったのは、昨今の地検の証拠ねつ造のごときねつ造が、おおはばにおこなわれていた、という事実である。「二六人の大半は、国民には知らされないまま闇の中で勾引(こういん)され、起訴され、判事らのつくった物語の中にはめ込まれ、演じさせられた」と著者は書く。その具体例をいくつも、本書の中で読むことができる。このようなことは、少し前であれば「戦前の日本ならそうであったろう」という感想の域を出なかったかも知れない。しかし検事によるねつ造とえん罪の創造が、現代においてもおこなわれている事実を知ってしまった我々は、幸か不幸か大逆事件を身近に感じられる位置に立ったのである。非戦論者である私は、「聞取書」がどのように作られるか、本書でしっかり勉強した。

 三つ目にわかったのは、「逆徒」というレッテルが貼られたが最後、何十年ものあいだ、今でさえ、生まれ故郷では疎まれる存在になる、という事実である。本書は岡山県高屋村にいたひとりの少女の物語から始まっている。戦後の一九四六年、国民学校六年生であった少女は父親の本棚の資料にあった「森近運平」に興味をもつ。卒業の論文を書くにあたって、町の人々に運平さんのことを聞いた。しかし誰一人として答えてはくれなかった。たったひとり「お国に殺された」と言った人がいた。運平の妹であったことが、後にわかる。

 ところで、この全国各地で数百名が検挙され、うち二六人が有罪判決を受けたこの事件は、なぜ「大逆事件」と呼ばれるのか。それは当時の刑法に第七三条「大逆罪」があるからだ。七三条は、天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太孫に対して危害を加えた者、あるいは加えようとした者は死刑にする、と定めている。危害を加えようとしたかどうかを「聞取書」で作成すれば、何もしていなくとも死刑にできる。この法律は一九四七年一〇月まで残っていた。

 であるから、これだけが大逆事件ではなかった。一九二三年に難波大助が後の昭和天皇を狙撃した「虎ノ門事件」、一九二四年に皇太子の婚礼に爆弾を投げ「ようとした」とされた「朴烈・金子文子事件」、一九三二年に李奉昌が昭和天皇の馬車に手榴弾(しゅりゅうだん)を投げた事件。さらに三つの大逆事件が起きていたのである。

 本書には、大逆事件に関する著作の発売禁止や書き直しの事実も詳しく書かれている。メディア統制も一種の大逆事件と言っていいだろう。その後の再審請求、明らかにするための会の発足など、この事件を風化させない様々な動きも、知ることができる。


11/09/2010

タミーノとパミーナ

扉の前で、黒いマントを片手でさっと、片側の肩に翻して鮮やかな紅い裾回しと言えなくもない裏地を見せた係りの若い碧眼の美しい男に、私はチケットを見せ渡し、すこしちぎってもらってから返してもらいホワイエに行く。
バーのカウンターに立つ、崩れてしまう前の一瞬の輝きを持ってそれを誇示するけれど愛想もなかなかの若い女にコーヒーを注文する。ソーサーとカップを受け取り、いつだってそそっかしくて割ってしまうからそれを大事に持ちながらひとり、三人が座れるテーブルと椅子を部屋の端に見つけ座る。
ひとくち、ふたくち啜るうち部屋は今にもパーティが始まる会場のように手にワイングラスやプレッツェルを持った人たちであふれた。