9/26/2010

夏圭子

占い師を勝手に想像していた私は、普通の“おっちゃん”に拍子抜けの感じだった。通訳を名乗った人が、カバンの中から白いB4位の紙とボールペンを出し、私達の前に置いた。見てもらう順番は、前もって決めてあった。
まず、“秀”。B4の紙に、言われた通りに生年月日と名前を書き、その人の前にさし出した。その人はじっと紙を見ていた。不思議な長い“間”があった。
その長い間に耐えきれず、あせる口調で口火を切ったのは“秀”だった。
「アタシ・・・いくつまで、生きられますか?」
その頃、色々な問題を抱えていた“秀”のその質問は、ザワッ!と皮フが泡立つような真剣な響きがあった。その人は静かに目を上げると、じっと“秀”を見つめた。
訳のわからない“間”はずっと続いていた。B4の紙にもう一度目をおとし、通訳の人にボソボソと何か言った。
“七十歳位までは、生きますよ”と優しい声で通訳は伝えた。
あと、色々な事を聞いていたが、私の頭の中にはその質問だけが残った。
columu08012502.jpgもう一人が済み、そして私。
結婚は三回するって。ギョッ!年下の男に気をつけろ!って。まあ、こんなもんだって感じの、たいした事は言わない。後は忘れてしまう程度のことだった。
もうおしまいか―と思った時、その人が言った。
「貴女、子供がいるでしょ」
「えぇ、息子がひとり」
息子の名前、生年月日をB4に書いた。
「あっ!ブタの年、ブタの月、ブタの日生まれ」
「えっ?ブタだって!」
皆が、笑った。ブタとは、韓国では猪の事。笑いをさえぎるようにその人は続けた。
「何か好きな事、得意な事、ありますか?」
「浪人中なのに、ギターばかり弾いてます」
「ああそれ、ギターで一生生きてゆく。貴女、息子にかけなさい。息子の役に立ってあげなさい。肉をなるべく控えて(友人の焼肉屋で、そう言った。)野菜中 心で、酒には気をつけて、酒で身体をこわす、よ。ポンポンといいリズムで、続ける。年をとる度に、良くなるよ。本当にいい人生だ。素晴らしい運勢を持って る」
そして―
「この子、韓国に来ます」―と言い切った。
「エーッ!韓国?」
今でこそ、韓流などとゆう状況もある。その頃は、韓国は近くで遠い存在だったから突拍子もない感じで。
「ヘェーそうですか」ってな感じで聞いていた。
ブタでもよさそうな人生で、特別、悪いことも言われずホッとしていた。

それから何ヶ月かたって夏の盛りに突然“秀”が死んだ。
くも膜下出血だった。(続く

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